どうしようもない終わらせ方

私は望まれて両親の家族となったのだと思う。小さい頃はよく可愛がってくれたし、親戚も私によくしてくれた。きっと若い唯一の男子だったからだとも思うが、私は幸せだった。

しかし、私に物心がついてくると、両親は私をよく叱るようになった。これだけならなんて事のない通常の、他の家庭と変わらない教育の範疇だろう。しかし、それは段々と過激になり、ついには暴力を伴うことが当たり前となってゆき、私は父が手を上に持ち上げるたびに身を小さく、惨めにすくめていた。そのころから段々と気が付き始めた。私は両親にとって望んだ子ではあるが、望み通りの子にはなれなかったのだと考えるようになった。

 

いつもお前のためだと言われた。いつも将来のためだと言われた。よくできた未来など望まなくなっていた。将来の夢など、明日生きているかわからない人間が持てるはずもない。私は終わりを望むようになった。

 

私には妹がいる、五つ年の離れた妹だ。小さい頃は皆から愛情を注がれているのがよく分かった。きっと私とは違うと思った。彼女なら望み通りの子になれると思った。だが現在ではあまり両親の望み通りの子供だとは思わない。少し性格に難があるのはだれの目から見ても明らかだった。しかし、何かが違った。両親は彼女にいまだに愛情を注いでいる。暴力も振るわないし、欲しがるものは大方買い与えていた。

なぜだ、何が違う。どうして私と同じにならない。女だからか、それとも私が男だからか。そんなわかるはずもない答えを求めて悶々としていたころ、ふと家族のアルバムを見つけた。普通の家庭なら両親と一緒に過去の写真を眺めることもあるのだろうが、私には無かった。正確には、私が生まれる前の写真を眺める機会がなかったのだ。

 

好奇心かもしれない、今でもなぜそう思ったかはわからない。私は親の留守を狙い、アルバムを開いた。古いものだと1970年からの写真が納められていた。新しいほうから確認していく。私が小学生の頃の写真、妹が生まれたとき病院で母と撮られた写真。私の良く覚えている風景が写っていた。ただ、ただ、ただ、ただ、ただ、ただ、ただ、ただ、ただ、無かった。私は2000年の1月生まれだ、だから、1999年後半にはお腹を大きくした母の写真があるはずなのだ。私を身ごもっている母の写真が。なかった。私が病院で生まれたとき母に抱かれている写真も無かった。私が生まれたときの写真は確かに存在する。リビングに飾られていた。しかしそこには生まれたての私しか写っていなかった。

 

直接問いただしたわけでも、DNA鑑定を行ったわけでもない。だから真相はわからない。偶然その期間写真を撮らなかっただけかもしれない。だから私はあえて物色したような痕跡を残し、アルバムをもとの位置へ戻した。

 

しばらくして再び両親の留守の間を狙い、アルバムのあった場所を調べた。なくなっていた。どうしてそんなことをしたのだろうか。見られたくなかったからに決まっているだろう。もう、そうとしか思えなくなっていた。

 

その時ふと思った、劣悪な精神状態下での被害妄想に過ぎない仮説だが、妹はなぜああで、私はなぜこうなのか。簡単だ、私は祝福されて生まれた子ではないのだから。

 

父親の女癖の悪さは知っていた。複数の女性と関係を持っていることも、知っていた。そのことも私の仮説を裏付けて行った。そうか、そうだったのか。それならば仕方があるまい。私が愛情だと思っていたものは哀れみか、自分の思い通りに事が運んでゆくことへの満足感ゆえか。愛情などどこにもなかった。

 

だから私はこの事実に気が付かないふりをし、両親を両親と思わなくした。だって、愛情のない親子など存在してよいはずなどないのだから。

 

そうして数年が過ぎたころ父の事務所で給与明細を好奇心からか覗いてしまった。もちろんこれはよくないことだと分かっている、アルバムとはわけが違うのだ。しかしどうして、こういった時の私の勘というものは的確に情報を引き当ててしまう。

 

私の父は会社の経営者だ。といっても大きなものではなく、所謂家族経営と呼ばれる小さな会社だ。だから当然給与明細の役員報酬の欄には知った名前が並んでいた。ただ一人を除いて。

 

私と同じ姓を持つ知らない女性の名前を見つけたのだ。その時、アルバムのことをすぐに思い出した。

仮説の域を出ないどうしようもないB級映画のような推理。でもどうして、それが現実味を帯びてきてしまった。この人物について調べるべきか、その結論はいまだに出ていない。

いや、結局調べることはないだろう。私は意気地なしだ、調べて、それでどうする。何かが変わるわけでもあるまい。私はもう20歳を過ぎてしまった。仮にこの人が本当の親だとしても、今更親の愛情など求めてどうする。

もう、終わったことなのだ。私に親の愛情などなく、唯々今は終わりを求めるのみなのだから。

 

ではなぜとっとと首を括らないのか。理由は非常に単純明快で、怖かったのだ。死ぬのが。何もせずに死ぬのが。怖くて怖くてたまらなかったのだ。嫌で嫌でたまらなかったのだ。

まだ何かあるはずだ。私の望む終わりが、私の望む死に方が。

なぜ生きるのかではない、どう死ぬのかを選ぶのだ。私はそれまで死なない。死ぬことはできないのだ。

 

世界中の人間が私を必要としないだろう、世界中の誰もが私を忘れようとするだろう。それでも、それでも何かあるはずだ、私の素晴らしい終わりが、死が、あるはずなのだ。

私はそう信じて疑わない。

世の中のためには私など速やかにいなくなってしまったほうがよいのだろう。だがそんな終わり方はまっぴらごめんだ。

 

私はそういう、どうしようもない人間なのだ。